仙台育英の吉川陽大の母は世界No.1のリベロで、父もスゴイ人だった!両親を徹底調査!

甲子園に出場した仙台育英の投手・吉川陽大選手。持ち味のキレのあるスライダーで甲子園をわかす、素晴らしい活躍をしています。しかもアスリート一家に生まれ、母親が世界No.1のリベロだったということが判明しました。父親はバレーボール関係者なのか、吉川陽大選手の家族について詳しく調査しました。

この記事でわかること

仙台育英 吉川陽大選手

・母親の世界No.1のリベロとしての活躍
・父親はバレーボール関係者なのか
・プロフィール、なぜバレーボールをしなかったのか

目次

吉川 陽大|母はバレーボール選手だった!

《 母・津雲博子(旧姓)さん 》
1997年から2000年にかけて女子バレーボール日本代表に選出
世界大会ではベストレシーバーの個人タイトルを獲得し、「世界No.1のリベロ」と呼ばれていた

1998年世界選手権、1999年ワールドカップなどで活躍。ワールドカップでは、ベストサーブレシーバーとベストレシーバーの個人タイトルを獲得し、「世界No.1リベロ」と称されました。
また、Vリーグでは1992年からNECレッドロケッツに所属。1996年、1999年、2002年と3度の優勝に貢献している実力者です。

2004年には現役を引退。現在は、春高バレーのコーチングキャラバンなどで指導にあたっているそうです。

吉川 陽大|父親は元全日本バレーボールの監督?

《 父・吉川正博さん 》
元全日本女子バレーボール監督
2001年に監督に就任、グラチャンバレーで銅メダルを獲得している

2001年、全日本女子バレーボールチーム監督に就任。グラチャンバレーで銅メダルを獲得しています。
しかしその後のアジア選手権、世界選手権などでは成績が振るわず、2002年に辞任することとなりました。
2004年にはNECレッドロケッツの監督に就任。2005年にはチームを優勝へ導き、最優秀監督賞を受賞しています。

2008年、監督を退任し、社業に専念することが発表されました。現在はバレーボールの指導やVリーグの試合の解説などもしているようです。

吉川 陽大|どんな人?

プロフィール

吉川 陽大(よしかわ あきひろ) |仙台育英学園高等学校3年生
・生年月日:2007年12月28日生まれ
・年齢:17歳(2025年8月時点)
・出身地:神奈川県横浜市(出生は広島県広島市)
・身長:176㎝
・体重:72kg
・投打: 左投左打

まつこ

祖母宅がある広島県広島市で生まれ、神奈川県横浜市で育ったみたいだよ!

学歴は?

・横浜市立茅ケ崎中学校 出身
・仙台育英学園高等学校 進学

小学3年生の頃に「茅ヶ崎エンデバーズ」というチームで野球を始めたそうです。

なぜバレーボールをしなかったのか?

吉川陽大選手は両親の影響で、幼い頃は「バレーをやりたい」と考えていたそう。両親のバレー教室にも通っていました。

しかし、母・博子さんの「『バレー選手の息子』という立場がプレッシャーになるかもしれない」という気遣いから、小学3年で野球を始めています。

お母さんは、第一線で活躍してきたからこその考えだったのかもしれません。両親が吉川陽大選手をしっかりとサポートしたからこそ、今の活躍があるんでしょうね。

まとめ

仙台育英 吉川陽大選手
・母親は女子バレーボール日本代表になり、世界No.1リベロと称された
・父親は元全日本女子バレーボールの監督を務めていた
・小さい頃は両親の影響から、バレーをしたかったが、母親の気遣いから野球を始めた
スポーツマンである両親の影響を受けながら、甲子園という大きな舞台で活躍している吉川陽大選手。これからどんな活躍を魅せてくれるのか楽しみです。

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