起業家であり、宇宙開発と仮想現実の会社を経営をしていて、今注目を集めている佐藤航陽(さとう かつあき)さん。
曽祖父は、第24代連合艦隊司令長官であり、A級戦犯の連合艦隊司令長官であると言われています。
その噂は真実なのか、どういった家庭環境なのか調査しました。
この記事でわかること
佐藤航陽(さとう かつあき)さん
・曽祖父は連合艦隊司令長官だったのか
・家族構成
佐藤航陽 | 曽祖父は連合艦隊司令長官なのか?

佐藤航陽さんのひいおじいちゃんにあたる曽祖父は永野修身さんで、連合艦隊司令長官でした。
- 第24代 連合艦隊司令長官
- 第38代 海軍大臣
- 第16代 軍令部総長
太平洋戦争で軍隊を指揮する立場の人で天皇と近い立場であり、当時の日本にとって重要な役割を担った人のひとりです。第二次世界大戦後は、A級戦犯として真珠湾攻撃や太平洋戦争の責任をとって指名されるも裁判中に病死しました。
佐藤航陽さんのYoutube『佐藤航陽の宇宙会議』で話していたり、著者『世界2.0メタバースの歩き方と創り方』に書かれています。特にYoutubeでは、わかりやすく解説されてます。
佐藤航陽 | 家族構成や育った環境は?
経済誌のインタビューに答えた。来年はもう少し真面目な情報発信も増やそう🤖https://t.co/pGhm2zGOZo pic.twitter.com/rcBECXfpFN
— 佐藤航陽(さとうかつあき) (@ka2aki86) December 10, 2024
母子家庭で育ちました。3人兄弟で兄と姉がいて、佐藤航陽さんは末っ子。
お母さんは働いていていたので、家事をするのはお姉さんが多かったようです。
そんな佐藤家にはルールがありました。
【 それぞれが何をやるのも自由、ただし、何をやるにもすべての結果は自己責任 】
あまり裕福ではなかったので、5、6歳の頃は紙と鉛筆と粘土を親から与えられ、それで遊んでいました。粘土で手が荒れるほど夢中になり、造形を作っていたそうです。小さい頃から工夫して遊ぶということを自然とやっていたようです。
中学生の時には友人に物を売ったり商売を始めていました。高校の時には自分のデザインした服を売ることにハマり、かなり稼いでいたそう。母親はデザインの仕事をしていたのでその影響もあったようです。
小さな頃から「なぜ世の中は不公平にできているんだろう」という疑問を持っていたと話しています。
佐藤航陽 | 曽祖父が与えた影響とは?
人生の方向性や、今後やりたいことに対しても、曽祖父の永野修身さんの想いが大きく影響を与えている
永野修身さんなどの歴史上の人物の意思決定の先に今の自分たちが存在している。そう考えると、何かをやらなければならないと思う気持ちになるそうです。
国の成り立ちが忘れられているということを日々感じていて、本当にこれでいいのかと日々、佐藤航陽さんは考えています。日本の歴史を思い出す機会になる情報発信が必要だと思ったことが、Youtubeを始めたきっかけのひとつとなっていると話しています。
まとめ
佐藤航陽さん
・曽祖父は、日本の海軍軍人で第24代連合艦隊司令長官だった
・Youtubeなどの発信をする活動をするきっかけのひとつに曽祖父の永野修身さんの影響がある
・母子家庭で育ち、贅沢はできなかったので自分で工夫して遊んでいてた
小さい頃から自分で考えながら遊んだり、恵まれていなかった環境だからこそ工夫してお金を稼いだりと、そういった環境だったからこそ今の佐藤航陽さんがあるような気がします。